宇宙の法則講座24回目の今回は、無我とは何か?自己を超えた状態の本質についてのお話をしていきます。
「無我」
この言葉を聞くと、「自分がなくなる状態」「何も感じなくなる状態」「感情が消えること」など・・
そんなイメージを持つ人もいるかもしれません。
しかしヴェーダ哲学における無我は、そうした状態とは少し違います。
今回は、「無我とは何か」そして「自己を超えた状態の本質」についてお話していきます。
私という感覚
まず最初に、最も大きな誤解からお伝えします。
無我とは、自分が消えることではありません。
思考がなくなるわけでも、感情が消えるわけでもありません。
日常生活もそのまま続きます。
では何が変わるのか。
それは、「それが自分だと思っていた認識が外れること」です。
私たちは普段、「私」という感覚を持っています。
しかしこの「私」は、よく観てみると、固定されたものではありません。
状況によって変わります。
仕事のときの自分、家族の前での自分、一人でいるときの自分。
すべて少しずつ違います。
つまり、「私」という感覚は、変化する構造の中にあるものです。
ヴェーダの哲学では、無我とは同一化が外れた状態だと考えます。
これまで、思考や感情、役割を「自分だ」と思っていた状態から、それらを観ることができる状態に変わる。
すると、「これは自分ではなく、起きている現象だ」と分かるようになります。
事故を超えるとは?
では、「自己を超える」とは何でしょうか。
それは、新しい自分になることではありません。
むしろ、誤っていた認識が外れることです。
何かを付け加えるのではなく、余計なものが外れていく。
その結果として、本来の状態が見えてきます。
ここで一つ重要なポイントがあります。
これまでお話してきたアートマン(真我)との関係です。
一見すると、「無我」と「真我」は矛盾しているように見えます。
しかし実際には、同じことを別の角度から表現しています。
無我とは、「個人的な自分」が実体ではないという理解。
真我とは、「観ている意識こそが本質である」という理解。
つまり、
・何ではないか(無我)
・何であるか(真我)
この二つは、同じ真理の両面です。
ではなぜ、無我の理解が自由につながるのでしょうか。
それは、縛っていたものがなくなるからです。
これまで私たちは、
・評価
・成功
・失敗
・他人の反応
こうしたものに強く影響されてきました。
しかしそれは、それらを「自分」と結びつけていたからです。
同一化が外れると、それらはただの出来事になります。
すると、内側に余裕が生まれます。
無我というと、特別な体験や、悟りのようなものを想像するかもしれません。
しかし本質的には、それは遠いものではありません。
むしろ、すでに常にそこにある状態です。
ただ、それに気づいていないだけです。
この状態に気づかない理由
ではなぜ、この状態に気づかないのでしょうか。
それは、思考や感情に強く同一化しているからです。
常に何かを考え、何かを感じ、それに巻き込まれている状態では、観る意識に気づくことが難しくなります。
ではどうすればいいのか。
ここでも重要なのは、これまでと同じです。
観ることです。
思考を観る 感情を観る 反応を観る
これを続けていくと、少しずつ距離が生まれます。
そしてその先に、「観ている側」に気づく瞬間が訪れます。
無我の理解が深まると、人生の見え方が変わります。
外側は同じでも、体験の質が変わります。
執着が減り、反応が軽くなり、自然な状態で生きられるようになります。
これは、何か特別なものを得たのではなく、本来の状態に戻っただけなのです。
まとめ
今回は、無我とは何かについてお話しました。
無我とは、自分が消えることではなく、誤った同一化が外れること。
そしてそれは、観る意識に気づくことで、少しずつ明らかになっていきます。
ここまでの24回で、宇宙の法則の全体像をお伝えしてきました。
知識として得るだけでは、なかなか腑に落とすことはできません。
ぜひ、ご自身の日常に照らし合わせてみてください。
また、もう一度最初から見ていただくことで、理解がより深まっていくはずです。
自分自身について知りたい。
自分自身の魂について知りたい。
そんなあなたにおすすめなのが、アガスティアの葉になります。
葉を開けることで、自分自身の魂が何をしにこの世にやってきたのか?知ることができます。
魂術協会でアガスティアの葉を開けていただいた方へ、
葉の活用方法も伝授させていただきます。
アガスティアの葉を開けてみたいと思われた方は、近々またインドに行きますので、概要欄に貼ってありますLINEにご登録いただければと思います。
詳細をご案内させていただきます。

